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研究紀要

研究紀要:第18号(2002年)

執筆者 論題 要旨
高久智広 近世期兵庫津北浜における浜先地開発と屋敷割の変化について 近年、飛躍的に進展した都市史研究の成果をもとに前近代の都市空間復元が各地で試みられている。兵庫津においても埋蔵文化財調査が積み重ねられ、絵図や古地図を用いた歴史的景観の復元なども試みられるようになってきている。兵庫津では明和 6(1769)年の上知を契機として、海岸部の大規模な開発が行われているが、新たに創出された町場の屋敷割は、旧来の町場とは全く異なる性格を持っている。本稿では元禄・安永・天保の3つの時期の絵図をもとに、開発が行われた兵庫津北浜の屋敷割に関する基礎データを示すとともに、新開地における屋敷割の特質を検討し、この開発が行われた意義について考察した。
藤井太郎 兵庫津遺跡における埋蔵文化財調査の現状 一発掘調査の成果と文献・絵図史料から考える近世都市景観の復原に向けて- 兵庫津における埋蔵文化財調査の進捗状況を記し、調査により得られた知見を概観する。比較的小規模な発掘調査が多かった兵庫津遺跡であったが、近年では大規模開発による発掘調査の実施により、特に兵庫津の北部地域においては中世遺構や近世の町屋建物も良好な状況で遺存する状況が判明してきており、近世の都市空間の形成を考える上で重要な成果が増加している。またそれらは本紀要に所載の高久氏による天保九(一八三八)年の水帳及び水帳絵図に描かれる屋敷地割の解析により得られた復元図に合致する部分が多いことが明らかになり、基本的な町割の状況についてのデータは、発掘調査を進める上で貴重な情報を提供するものといえる。また絵図や屏風絵など近世都市を描く史料も含め、近世都市の実態の解明において相互の連携が不可欠であることを改めて促すものである。
国木田明子 古地図と版元 -館蔵品にみる江戸時代の地図出版について- 館蔵資料による古地図企画展『古地図と版元』を基に、その列品解説を発展させた研究ノート。地図の内容や地図制作者ではなく、出版した側の版元(書林)に焦点をあててまとめている。まず、江戸時代の出版事情を略説。その後、京都・大坂・江戸の三都毎に各都市の書林の状況を述べ、書林毎にその店の特徴・歴史を挙玖発行した地図を紹介している。
川野憲一 新出の毘慮遮那仏変相図について -高麗末期華厳教仏画の一様相- 毘盧遮那仏変相図とも称すべき類例のない図様を持つ高麗後期の大幅(縦196.0cm×横133.5cm)を紹介した一論。画面中央区画に描かれた群像を、朝鮮華厳教の教主・毘盧遮那仏の法会に集った諸衆(上部から、四飛天、八部衆、十大弟子、文殊普賢十四菩薩、四天王、梵釈)と推定し、周囲の小仏を毘盧遮那仏から生まれゆく無数の世界と解釈した。また、高麗仏画における坐像尊像の服制についても一考を加え、それが寧波仏画などの中国南部地域だけでなく、北方・西域のものとも深く関連すること、南部地域の服制をスタンダードとする日本の中世仏画とは断絶していることを指摘した。制作年代については、迫真的な朱隈の使用、深みのない金泥の発色などから14世紀半ば以降の高麗後期と推定した。最後に今後の美術史研究において、中世着色仏画(日本製・海外製双方)をめぐるコンテクストの掘り起こしが急務であることを指摘して稿を閉じた。
田井玲子 昭和初期の神戸観光写真をめぐって I 「阪神間モダニズム」を代表する写真家・中山岩太が神戸市観光課の依頼で、数多くの観光写真を撮影したことはすでに知られているが、その時期や、個々の作品がどのような形で使われたのかなど、まだ明らかでない点も多く、戦争へと突き進んでいく時代に、神戸市がどのように観光事業を推進していったのかなど、中山の仕事を通して、異なった角度から調べてみたいと考えた。阪神・淡路大震災の際に中山写真スタジオから運び出され、芦屋市立美術博物館に保管されている資料と照合しながら、観光課が発行した絵葉書・写真帳・ガイドブックなどの観光写真のなかから、中山の作品を特定。定期的に発行された『神戸市事務報告及財産表』『神戸市公報』などの記録類、『アサヒカメラ』『プレスアルト』などの雑誌類、市史や社史などともつき合わせながら、観光課が事業を推進していった背景や当時の世相なども明らかにする。